第50回中学生海の作文コンクール(2016年) 入賞作品

銅賞1

旅行で見た海

大津市立 唐崎中学校 1年
小川 陽光

 ぼくは、この夏、北九州(長崎、佐賀など)を中心にめぐる家族旅行に行きました。

 長崎や佐賀は周囲を日本海や有明海にかこまれた、非常に自然の豊かな所で、ぼく達滋賀県人の生活が琵琶湖と切っても切りはなせないように、長崎や佐賀の人達は海と密着した生活をしているのではいかと思いました。

 実際、観光で船に乗り、長崎佐世保市~平戸市の九十九島めぐりをした時にも、北松浦半島の西岸に連なるリアス式海岸の群島は遊覧船やマリンスポーツなどのレジャー方面での人気はもちろん、天然や養殖のカキの生産地としても有名らしく、ぼくもカキを養殖しているイカダが海に浮かんでいるのを見ました。

 後から調べたら、「九十九島いりこ」という漁業協同組合の煮干し生産量が日本一らしく、やはりリアス式海岸は漁業や養殖に適しているのだと思いました。

 景色もきれいで海の幸にも恵まれている長崎は本当に良い所でした。

 その一方で、佐賀の有明海の諫早湾では、国の進めた干拓事業の影響で、海の生き物が住めなくなり漁業が出来なくなったりして問題になっているそうです。

 干拓とは、湖や沼、潟などを排水して、陸地や耕地にすることで、諫早湾の場合は海の部分を陸にしたおかげで、その部分の土地を農業に使っている。大規模な畑には様々な農作物が栽培、収穫されていて、その利益は大きいのだと思います。

 しかし、海をなくしたせいで魚介類は減少してしまい、具体的には二枚貝タイラギが死滅したり、むつごろうが住めなくなったりと漁業や環境に及ぼした被害もけっして少なくはなくて、この問題は昔から裁判になっているくらい難しい判断のようです。

 ぼくが長崎の九十九島めぐりで見た美しい景観の海の幸の豊かな海も、干拓の是非で今現在も問題をかかえる諫早湾の海も、どちらもそれぞれの地域に密着した大切な海です。

 島国の日本は昔から海や海からの恵みと共に生きてきました。

 これからもそれを忘れずにいるべきだと思いました。

銅賞2

未来の海にできること

田辺市立 新庄中学校 3年
山本 悠人

 僕は、海釣りが大好きです。特に好きなのは、ルアーフィッシングです。

 春休みの終わりごろ、朝早くから父と芳養へ釣りに出かけました。空はようやく輝き始める頃で、少しくもった中潮でした。

 釣り場へ到着すると、人はまだまばらでした。

 竿は九フィートでPE〇・八号、五号のライン、ルアーはメタルバイブレーションです。

 堤防から海を見ると、波のうねりはありませんでした。遠くのほうでナブラが起こっていました。

「釣れるかもしれない」

僕はそう思い、キャスティングしました。竿を上下にしゃくったり、そのままルアーを引っぱったりと、魚にアピールしました。何回もキャストしました。

 そうしているうちに、空が黄金色に輝き出し、太陽の光が反射した海はキラキラと大変美しく光っていました。

「つれないかな…。」

そう言いながら海を眺めていました。

 何回かキャスティングしていると、ナブラが近くで起こってきます。近くに狙いをつけてルアーをキャストしました。ゆっくり、ゆっくりとリールを巻いていると突然、手に衝撃が走りました。

「ドンッ。」

竿先から出ているラインが海へまっすぐ伸び海面を左右に動いています。今までにない力で海へとラインが引きこまれていきました。ラインを巻いては出され、巻いては出されます。少しずづ魚を引きよせていきました。姿はなかなか見えません。竿は大きく曲がったままです。

 しっかりと少しずつリールを巻いていきました。それから数分、海面にうっすらと光る魚体が見えてきました。

「大きいぞ。」

近くで釣りをしていたおじさんが言いました。

「あわてるな。ゆっくりやぞ。」

父も興奮していました。

 魚が水面にあらわれると、暴れていたのがようやくおさまりました。おじさんがタモ網でキャッチしてくれました。

 釣り上げたのはメジロでした。ほんの数分のやりとりだったけれど長く感じました。今まで釣ったことがないサイズの魚でした。測ってみると、六十五センチあまりありました。魚の重さのせいか、魚を釣りあげた喜びかはわかりませんが、少し手がしびれているほどでした。

 空はいつもの空にもどっていました。海はより一層輝きを増しているようでした。釣り上げた魚を両手で抱えるようにして持つとずっしりと重かったです。

 魚は家に持って帰りました。祖父母や親せきに少しだけおすそわけできるぐらいでした。刺身、照り焼き、あらだきで食べました。とてもおいしかったです。この一日、笑顔があふれ、とても気分がいい一日でした。

 その後も、この堤防によく釣りに行きます。もちろん他の堤防や釣り場にも出かけます。

 釣り場を歩いていると、釣り糸やペットボトルなどが落ちています。海から流れてくるゴミもたくさん見ます。そんなとき、僕は少し悲しくなってしまいます。

 海を見ながら考えます。海が汚れてしまうと魚が釣れなくなるのに、なぜごみを捨てていくのでしょうか。きれいな海はいつまで続くのでしょうか。僕が大人になるまできれいなままでしょうか。いつまで魚が釣れる海が残るでしょうか。不安はつきません。

 僕たち一人ひとりにできることは何でしょうか。たとえば、ゴミを捨てないようにする、ゴミ拾いなどがあります。一人ひとりが行動するだけで、海の環境が守られていき、きれいな海を残すことができるのではないでしょうか。

銅賞3

海でのルール

帝塚山中学校 1年
嘉藤 咲来

 私は夏になると毎年海へ行きます。それも、ただの海水浴ではありません。水上バイクで遊びます。水上バイクは父が運転し、私と妹が乗り、どんどん沖の方へと向かいます。途中からは、浮き輪を引っぱったりして、楽しい一日をすごすのです。跳びはねる魚も見れます。周りにはなにもなく、海を一人占めしている気分にもなれます。

 つい先日も楽しんできました。そうした八月のある日、私はこんなニュースを見つけました。

「水中スクーターの女性が水上バイクに衝突し重傷」神奈川県三浦市の小網代湾で「女性が水上バイクとぶつかった」と119番通報がありました。横須賀市海上保安部などによりますと、女性は会社の同僚ら約二十人で訪れていましたが、モーターが付いていて海に潜ることができる水中スクーターで遊んでいたところ、同僚男性が運転していた水上バイクにぶつかったということです。女性は同僚らに救助されましたが、くも膜下出血の重傷です。男性は女性に気がつかなかった、と話していて、海上保安部が事故の原因を調べています。

 私はこのニュースを見たとき、この事件は女性が悪いと思いました。水中スクーターで潜っていると水上バイクからは見えないし、例えばうきなどがおいてあるとよけることもできますが、見えないものをよけるというのは無茶だと思ったからです。その意見を母に言うと「それはあなたがいつも水上バイクにのっているからでしょ?もし、あなたが水中スクーターにのっていたらどう思う?」と、言われました。確かに水上バイクはスピードも速いので、あがっていったときに水上バイクが急に来ることもあるので、いつ来るか分からないな、と思いました。

 今回のこの事故は同じグループ内で起こったことなので、女性が潜っていることもわかっていただろうし、何より近くに人が居る状態で水上バイクを走らせていたことが事故の原因だと思います。毎年、水上バイクの事故のニュースを見ますが、ほとんどの原因は水上バイクのマナー違反なのではないか、と思いました。

 私はこの事故のニュースを見て、海上でのルールは交通ルールほど、きっちりしていないのかなと思いました。道路では信号があり、それを守ることによって事故がおこらないようになっています。でも、海にはそのようなものはなく自分の好きなように遊べます。

 父に教えてもらったのですが、海で、大きい船と小さい船では大きい船を優先しなさい、というルールがあるそうです。なぜなら、小さい船の方が小回りが利き、船をよけやすいからです。でも今回は、船と船ではなく船と人の事故です。

 そこで私は海でのルールはどんなものがあるのか調べてみました。海の交通安全を守る法律は三つほどありました。一つ目は、海上衝突予防法(すべての海域に適用されます)。二つ目は、海上交通安全法(東京湾、伊勢湾、瀬戸内海に適用されます)。三つ目は、港則法(港湾に適用されます)。その三つに加えて、都道府県の条例があります。やはりこれら三つの法律はどれも船と船の事故のときに考えられるものでした。昔と違い、水上バイクや水中スクーターなどの海で楽しむものが増えてきている今、きちんとルールを作り、みんながルールやマナーを守ってほしいです。

 私はこのニュースをきっかけに決めたことがあります。父はいつも周りに注意を払って水上バイクを運転しています。禁止区域には絶対入らないし、人がいる所には近づきません。停めるときも他の人の所から離れた安全な所に停めます。そうした配慮は父に任せていましたが、これからは私も周りを気にして家族が安全に楽しめる様に協力したいと思います。今回のような水上バイクの事だけではなく、ただ普通に泳いでいても海の事故は絶えません。海に遊びに来ている人、一人一人が意識を持てば、悲しい事故はもっと減っていくと思います。

銅賞4

ビーチグラスは何故あるのか

大津市立 志賀中学校 2年
田中 緋奈

 ビーチグラスは何故あるのか、そう思った人はたくさんいると思います。私もその一人です。海に行くと、貝と一緒に必ずと言っていいほど落ちています。それが何故か、ということと、元々は何なのかが気になり、調べてみました。

 まずは、ビーチグラスの色に注目しました。海で拾うことができるビーチグラスの色は、約五色です。その五色とは、白、青、水色、茶色、緑です。特に多く見られるのは、白と茶色、緑で、あまり見かけないのは、青色です。他にも赤などがあるようですが、私は見たことがありません。では、そもそも何故海に色々な色のビーチグラスがあるのでしょうか。

 次に注目したのは、ビーチグラスが元々何だったのか、ということです。私は前に一つだけ、変な形のビーチグラスを拾ったことがあります。その形は、ビンの飲み口のようでした。そのことから、ビーチグラスは元々、お酒などのビンだったことがわかります。元々がビンなら、ビーチグラスに色の種類がたくさんある理由もわかります。その理由は、お酒のビンに多い色とビーチグラスに多い色が一致するからです。例えば、茶色や緑などのびんはよく見かけますが、青や赤、黒などの色は見かけませんよね?その事から、ビーチグラスは元々ビンだったということがわかりました。

 そして、このことから、ビーチグラスは何故あるのかがわかります。元々ビンだった物が、ビーチグラスとして海にある原因、それは私たち人間にあります。海で拾うと嬉しくなるビーチグラスですが、元々はお酒などのビンです。何故ビンの欠片が海にあるのか、それはビンを海に捨てる人がいるからでしょう。おそらくガラスが無い時代にはビーチグラスも無かったと思います。そのことを知ると、複雑な気持ちになります。では、ビーチグラスの注意点はないかと調べてみました。

 調べてみると、知っていないとケガをするかも知れない情報を見つけました。それは、ビーチグラスができる過程にあります。まず、ビンが波により岩などにぶつかって割れます。そしてその欠片が波によって運ばれる時、角が丸くなりビーチグラスができるのです。危険なのは、角が丸くなっていないビーチグラスです。角が丸ければ安全ですが、とがったままだとすごく危険です。パッと見た時に、光を反射し、光るところがあるビーチグラスは絶対にさわらないようにしましょう。

 最後に、ビーチグラスについて調べてみて、知らないことがたくさんありました。元々ビンだったということや、人間が捨てたゴミだと言うこと、珍しい色などです。少々複雑な気持ちにもなりましたが、心が暖かくなる情報を見つけることができました。それは、一部の地域でビーチグラスが通貨として使われているということです。それは、色の珍しさによって価値が変わり、たくさんのお店で使えるようです。この取り組みは、海をきれいにしたいと思うサーファーから広まったようです。琵琶湖にもビーチグラスがあるので、もっとたくさんの地域でやってほしいと私は思います。ビーチグラスはアクセサリーにもできるので、見つけたらたくさん拾いたいです。それが海をキレイにする一歩になればと私は思います。

銅賞5

沖縄の海にふれて

守山市立 守山中学校 1年
佐々木 志温

 この夏、生まれて初めて、沖縄の海を見た。透き通るようなエメラルドグリーンの海だった。本島から離島へ渡った。海も砂浜も美しく、ずっとずっと向こうまで海だった。水平線しか見えなかった。どこまでも海だった。

 シュノーケリングをした。海の中も、今まで見たことがない美しく素晴らしい世界が広がっていた。「美ら海」。その通りだと思った。いつまで見ていても飽きることがなく、波の音も、耳に美しく響いていた。とても楽しい時間だった。

 色鮮やかな魚たち、色とりどりのさんご礁、沖縄の海でしか見られない色に、見とれた。沖縄の海では、色鮮やかな魚ほど目立たない、とインストラクターの方に教えてもらった。本当にその通りだった。間近で見た魚たちの群れ。人も魚もひとつの世界にいるようで、感動した。

 黒潮の海はとてもしょっぱかった。この黒潮はずっと流れて、世界の海とつながっているのだ、と地図を見て改めて思った。

 沖縄には、日本以外の国からもたくさんの観光客が訪れていた。いろんな国の言葉が耳に聞こえてきた。みんな、沖縄の海の前では、穏やかで楽しそうに見えた。

 ホテルや観光地で目にする看板や案内は、どの国の人が見てもわかるように絵文字がたくさん使われていた。沖縄は、どの国の人も優しく温かく迎えてくれるところだと思った。

 車で移動するときに、あちこちで米軍施設を目にした。沖縄の海へ流れていく川で、カヤックをした時、嘉手納の飛行場から、何回も飛行機が飛んだ。

 近い将来、国定公園に指定されているあたりに、米軍の施設を移転するというニュースは、沖縄へ行って初めて知った。沖縄の新聞には、毎日、そのことについての記事が載っていた。あの美しい全てのものを手放してまで、することなのか、そもそも必要なことなのか。自分ごととして考えるようになり、あの美しい海が埋められていくことを想像し、苦しくて悲しくなった。

 中学校では、毎月、「守中人権の日」が設けられている。六月は、「沖縄」について考える、という時間があった。最後に流れた「さとうきび畑」という曲が、「今も戦争で亡くなった人がさとうきび畑の下に眠っていることから作られた曲」ということを初めて知った。沖縄にアメリカ軍が上陸し、とても激しい戦争があったこと、八月十五日の終戦後も戦争状態が続いたことも今まで知らなかった。

 沖縄の平和祈念公園の「平和の礎」には、日本の兵隊、沖縄の住民、朝鮮半島から連れてこられた人々、アメリカの兵隊など、沖縄戦で亡くなったすべての人の名前がわけへだてなく刻まれていて、六月二十三日は、そのすべての人を慰霊する日だと知った。

 かつて琉球王国として栄えていたが、日本の中の一つとなった沖縄県。いろんなことを受け入れ、受けとめてきた沖縄の人々が使う「テーゲー」ということば、「なんくるないさ」ということばに、心の広さや温かさ、前向きさ、人の好さを感じた。そして、平和を強く願う気持ちを感じた。沖縄の海を見て、そこにひたっているうちに、そんな風に考えている自分がいた。

 沖縄でライブを聞いた。沖縄で聞いた島唄を、家でもよく口ずさむようになった。歌っていると、なにもかもひっくるめて幸せな気持ちになる。

 この夏、沖縄の海との出会いが、知らなかった沖縄の問題にも目が向き、考えるきっかけになった。

銅賞6

白いサンゴから考える世界の自然

京都市立 北野中学校 2年
森 碧輝

 「沖縄の海はきれいだなぁ。魚がたくさんいるし、サンゴも白くてきれいだなぁ。」

これが僕が小学生のとき、沖縄に行って持った、無邪気な感想でした。そしてこの間までも、沖縄の海は他の海と違い、地球温暖化などの影響は受けていない、そう考えていました。

 しかし、そうではありませんでした。それを知ったのは、昨年、海水浴場に現れたサメのニュースを受けて、地球温暖化について詳しく調べたときです。それを知ったときは、日本の宝でもある沖縄の美しい海にも、地球温暖化の影響が出てしまっていることへの悲しさ、人間の手で海を汚してしまっていることへの憤りなど、様々な気持ちが入り混じり、苦しくなりました。また、あの海もやがて見られなくなるのではないかという恐怖心を感じたのもよく覚えています。

 さらに詳しく調べてみると、サンゴの白化現象は、海の砂漠化といわれ、サンゴが死んでいくことをいうそうです。それによってサンゴ礁は減少していき、生態系が崩れ、魚たちの種類や数も減少しているそうです。また、一見そうは見えませんが、海温上昇、水質汚濁、ごみ問題など、多くの問題をかかえていることが分かりました。

 しかし、これは沖縄だけがいえることではありません。現在、世界各地の美しい自然が、人間の手で汚され、破壊されています。

 産業革命による、多くの温室効果ガスの排出、汚水の川や海への放流、森林伐採など人間が起こしたことのほとんどが自然破壊の原因です。

 だから僕は、現在頻発している、異常気象と呼ばれる台風、集中豪雨、砂漠化などの多くの被害は自然からの仕返しではないか、と考えています。だからこそ今、僕たち人間は、地球温暖化という試練に立ち向かい、美しい自然を取り戻していかなければならないと思っています。

 だからといって、

「自然と共存していた江戸時代までの生活に戻そう。」

と言ったところで、今さら戻れません。人間は科学の力でここまで進歩してきたのだから科学の力で自然としっかり向き合い、取り戻していくことができるはずだと思っていますし、実際そうしてほしいとも思っています。

 しかし、対策を行っていないわけではもちろんありません。ハイブリッドカーや、自然エネルギーの利用などの多くの対策を国全体、世界全体で行っていますし、身近なところでは、節電やリサイクル活動、地域の清掃なども一人では小さなことからコツコツと行ってもいます。沖縄でも、海洋保護区の設定、サンゴの移植、増殖、ごみ拾いなどの活動を行っているそうです。

 それならなぜ、もっと早く成果がでないのだろうか。それは同じ人間に原因があると思います。対策を行い、自然を守ろうとしている人はたくさんいます。しかし、そんな人たちのことも考えず、ポイ捨てをしたり、資源のむだ使いをしたり、リサイクル、分別をしない人たちがいて、その人たちが原因だと思います。でも呼びかけもあり、そのような人の数は年々減りつつありますが、まだたくさんいます。

 僕はそんな人たちは自然の美しさ、大切さに気づいていないからだと思います。僕の祖母の家は田舎にあり、山に囲まれていて、小さい頃から自然と多く関わり合っていたからこんな考えを持てたのだと思うし、もし都会にずっといてたら、こんな考えは持っていなかったはずです。

 だから僕は、できるだけ多くの人に海や川、山などの大自然へ出向き、自然と触れ合い、親しんでほしいと思います。そして自然の良さを知ってもらいたいと思います。身近な人には、自分の言葉で自然のすばらしさを語り、たくさんの人に教えてあげたいです。そうすれば、自然のことを良く思ってくれる人、気遣ってくれる人が今よりもっと多くなるはずです。

 「自然を変えるのは、一つの大きな力じゃない。小さな小さな一人一人の思いなんだ。」

僕はそう考えています。一人一人の思いで自然を変え、世界中が美しく、人間も自然も幸せになれる、そんな世界をつくり出せるようにしていきたいし、していってほしいです。

 僕の小さな思いがいつか大きな力になりますように、ごみ一つない透き通った海で泳げる日が来ますように、いつまでも願っています。