佳作 釣りを通して

大阪教育大学附属平野中学校 3年 御門 奈央

 私は父の影響で「釣り」にすっかりハマってしまいました。しかし、私の住む奈良県には海がないため、あまり釣りに行く機会がありません。ですが、あまり行くことがないからこそ、その数少ない釣りの機会を満喫することができているので、私はこのくらい少ない方が好きです。
 旅行に行く度に釣りをしています。
 和歌山県、徳島県、三重県、香川県の釣り堀、大阪湾、小豆島など、様々な場所で釣りをしました。和歌山県では、小さなカサゴ、徳島県では、見た目に驚いたギンボ、三重県では、私一人の力では持ち上がらなかった、体長二十五センチのフグなど、忘れられない楽しい思い出です。 しかしこれらの釣った魚は大きさが小さかったり、津々浦々で捕れるフグは家族の誰も捌く自信も資格もないことから、キャッチ・アンド・リリースで釣りをしていました。
 しかし、私が初めて一人だけで竿を握り釣ったタイは家で煮付けにして食べました。それは、香川県にあるタイの釣り堀りでのことです。
 当時あまり釣りをしていなかったのですが、すぐに釣れて竿が引かれる感覚に、なんとも言えない喜びがありました。
 タイの釣り堀りで釣っているときに私は、「こういうすぐに釣れる釣り堀は楽しいな。」と思っていましたが、父に「海で釣るのも楽しいよ。僕は海で釣る方が好き。」と言うので、次の旅行では、 海で初めて釣りをしました。これをキッカケに私は釣りが好きになりました。 
 私が釣り堀と違って良いなと思ったことは、『釣った魚一匹に対する楽しさや感謝が増えた』ということです。
 釣り堀に比べて海での釣りは、そんな簡単に釣れません。そのため、魚を待つ時間が長くなり、その間で、さっき釣れた魚の特徴や、この辺りの地域では他にどんな魚がいるのかを話したり、釣り堀でタイが餌を一気に「ばくっ」と食べるのと違い、自分でつけた餌を「ちょんちょん」と食べても大丈夫なのか探っている感覚が味わえることも釣り堀では味わえない楽しさだと思います。
 そんな中、私が一番心に残っている釣りといえば、やはり小豆島での釣りだと思います。ここで私は初めて食べれる大きさのキスとアジを釣りました。
 魚が釣れるのを待っている間に私と父は、「あの大きさなら塩焼きにでもして食べようか。」「自分で釣った魚を食べれるのっていいね!」と話し、私達はアジとキスと共にホテルに帰りました。
 従業員の方に「何か釣れましたか?」と聞かれたので、「アジとキスが釣れました。」と言って見せると、「調理して晩ご飯の時に一緒にお出ししましょうか。」と言ってもらえたので、調理してもらうことにしました。
 晩ご飯の後半で、私の釣ったキスとアジは塩焼きになって出てきました。海で自分のカだけで釣ったキスとアジはいつもより新鮮で、おいしく頂けることができました。
 父と一緒に釣りをしていると、餌を手でベタベタ触ると人間の匂いが付いて魚が寄ってこないことや、魚はテトラポットの下の深いところに多いこと、竿を少し動かして餌が生きているように見せるとさらに釣れやすくなることなど、釣りに関する色々な知識を教えてもらい、魚のことについて少し深く知ることができました。
 しかし、大阪湾で釣りをしようと車から降りて海を見た時、私は衝撃を受けました。
 水面に浮かぶ空き缶や洗剤の大きな入れ物、そしてそこから出てきたのか、白い泡が立ち、油のようなものが漂っていました。
 私は近頃、海へのポイ捨てが多くなっているというのは知っていましたが、目の当たりにしたのは初めてで、茫然としました。
 竿の先に餌を付けてたらしてみましたが、こんなにゴミやら油やらが浮いているところで魚が釣れるわけもなく、一度糸が引いたと思い釣り上げてみると、空き缶の中に泥が入って重くなったものでした。
 その後も何時間か釣れるか試みましたが、津々浦々にいるはずのフグさえも釣れず、何も釣れぬまま終わりました。
 海岸沿いを歩きながら海をながめていると、どこを見ても何かしらのゴミが浮いていて、捨てた人々への怒りが湧いてきました。
 日本には春夏秋冬の季節があり、それに伴って様々な魚を見たり食べたりすることができるすばらしい国だと思います。
 そんな海を守ることはやはり必要だと、私は釣りを通して痛感しました。

2020年12月02日