銅賞 海と奴隷貿易

大阪教育大学附属平野中学校 2年 鈴木 燈

 私は今まで海に対して、家族で行った海水浴やその時に見たきれいな風景、船旅など、楽しい思い出がある一方で、東日本大震災でたくさんの人の命を奪った大津波や水難事故などのおそろしいイメージも持っていました。今回、「砂糖の世界史」(川北稔著)という本を読む機会があり、三角貿易や、その過程で行われた奴隷貿易と海の役割について新たに知ることができました。
 三角貿易とは、十六世紀から十七世紀に行われた、ヨーロッパとアフリカ、西インド諸島の三つの地域を結ぶ貿易のことです。私の印象に残ったのは、三角貿易の中間航路と呼ばれた奴隷貿易です。
 奴隷貿易について特に衝撃を受けたことの一つ目は、ヨーロッパ人が黒人奴隷をアフリカ大陸からどのようにして他の大陸に連れて行ったのかということについてです。その方法は、アフリカ諸国に侵略して自国の植民地にして、今まで普通に暮らしてきた人々を拉致して有無を言わさず連れていくという残酷なものでした。
 そして二つ目は、奴隷貿易で連れて行かれた奴隷の人数についてです。「グローバルガイド最新世界史図表」(第一学習社)によると、一度の航海で連れて行かれた奴隷の人数は、一五〇人から二百人と言われています。そして、それが何万回と繰り返され、合計で一千万人もの人々がアフリカから連れて行かれてしまったのです。連れて行かれた奴隷の男女の割合は三分の二が男性、三分の一は女性でした。男性しか連れて行かれないと思っていたので、女性も連れて行かれたのだと知り、驚きました。
 三つ目は、連れて行かれた奴隷がその後行き先で何をされたのかということについてです。世界各地に運ばれた奴隷は、プランテーション農場で労働させられたり、白人の召し使いとして働かなければなりませんでした。そしてたくさんの奴隷を労働者として取引していたイギリスでは、首輪やくさりがつけられた黒人奴隷を召し使いとして雇うことが、流行にまでなったのです。
 「アメージンググレース」という有名な曲がありますが、この曲を作詞したジョン・ニュートンも、奴隷船の船長として関わっていた時期があり、その行動を悔やんだことで牧師になったのだそうです。
 大航海時代に長距離航海ができるようになり、ヨーロッパの人々が今まで知らなかったアメリカ大陸やアフリカについて知ったことで生み出された奴隷貿易は今では考えられない非人道的な出来事でした。一方で、こうした貿易により砂糖やコーヒーなどがヨーロッパの人々にも食べられるようになり、三角貿易で生み出された莫大な利益によってイギリスの産業は大きく発展したのです。
今まで私は、奴隷貿易と聞くと黒人差別の象徴の一つで良くないこととしか考えていませんでしたが、それによりヨーロッパの産業が発展して人々の生活を豊かにしていたと知り、驚きました。
 もしかしたら、当時のヨーロッパの人々の中で自分の幸せが奴隷のような非人道的な制度の上に成り立っていることを意識していた人は少なかったのかもしれません。
 自分自身のことと重ねて考えてみると、今まで自分が着てきた服は中国産やベトナム産のものばかりで、ほとんど日本製のものはありませんでした。これは、品質がよく値段も安い服が簡単に手に入るという点ではとても良いことである一方で、物が自分のもとに届くまでのプロセスを見えなくさせてしまっていて、その間に起こる犠牲について学ぶ機会を奪ってしまっているということでもあります。
 奴隷制度というものはなくなりましたが、今も自分が意識していないところで奴隷と同じような犠牲が生まれています。この現状を改善させるために、フェアトレードという考え方が広まってきています。しかし、言葉や意味は知っていても、この考え方が現地の人にとってどれほど重要なものなのかは知りませんでした。
 現地の人にとってフェアトレードという制度は、自分の命を守るものです。「ザ・トゥルー・コスト~ファストファッション真の代償~」という映画を見ると、劣悪で賃金も適切に払われないような場所で働かされ、危険物質によって死を待つしかない子どもがたくさんいました。生活できなくなり、自殺する人もいます。適切な価格での取引をしないという事は、労働者の死につながります。だからこそフェアトレードという制度が重要なのです。奴隷貿易だけでなく、現代に私達の気づかないところでおきている犠牲についても、もっと関心を持つべきだと思います。

2020年12月02日