銅賞 歴史から海を考える

大阪教育大学附属平野中学校 2年 髙村 こころ

 海にはたくさんの資源があります。表面の7割を海が占める地球は、そのおかげで経済が発展し、豊かな生活ができるようになりました。しかし、多くの資源を持つ海は、その分だけ、戦いを生んできました。昔から、海は発展をもたらすものとして、取り合われて来たのです。
 古代、ヤマト王権の時代から、海を守る「水軍」が設置されていました。沿海部に居住する安曇部、海人部、津守氏などの氏族たちが水軍を支えていました。古代の日本の背骨は、大阪湾、瀬戸内海にあり、天然の良港が当時の日本の基盤となっていました。
 平安時代になると、水上輸送される作物を強奪する「海賊」が現れます。平安前期には小規模な集団でしたが、平安後期には、「武士」という身分の成立と共に、海の武士が登場しました。海の武士は「神域」へ入った船の積み荷を奉献として分けてもらうことを目的とした集団です。有名な水軍に、村上水軍があります。海上で独立し、瀬戸内海を警護することで力を持ちました。
 戦国時代には、各国の大名たちが、海の幸に目を留め始めます。海を持つ国と持たない国では、発展の仕方が目に見えて違うからです。生活を送るために欠かせないものである塩も、海を持たない国は、他国から買って来なければならないため、海を持つ国は大きな利益を得てきました。そのため、各国は水軍を作り、他国からの侵攻に対抗していました。安芸の小早川氏や伊予の越智氏、津軽の安東氏などがその代表です。
 幕末になると、ペリーなど、外国とのつながりが生まれて来ます。日本は島国なので、外国とつながるためには海が不可欠だったため、いっそう港の警備や水軍の整備が必要になりました。そこで、勝海舟と坂本龍馬が設立した水軍が、神戸海軍です。坂本龍馬は、当時まだなかった、株式会社の発想を取り入れた、カンパニーを作りました。外国から輸入した、西洋式の武器を運ぶことを仕事としていました。その仕事で得た利益の一部が、資金を出した福井藩に入る仕組みです。海を商売の基盤とする、新しい産業でした。
 日本で有名な水軍は限られていますが、海で起きた戦いは数多くあります。
 飛鳥時代、中大兄皇子率いる日本軍と、唐と新羅の連合軍が戦った白村江の戦いが起きました。これに日本軍は大敗し、さらに海上の戦力を高めることになります。
 平安時代後期、藤原純友が、大量の官物が運ばれる船を襲う事件が起こりました。藤原純友の乱です。各地でとれたものを都に運ぶには、海を通らなければいけません。その海を押さえられたことは、朝廷にとって、とても大きい事でした。この乱は、武士によって鎮圧されることになります。
 やがて、武士の身分が確立され、平氏の勢いが増し、やがて衰退していきます。平氏が滅亡した壇ノ浦の戦いは、現在の山口県と九州の間、壇ノ浦で起きました。初めは海戦の得意な平氏が有利でしたが、やがて潮の流れが変わり、源義経率いる源氏が優位に立ちました。もしその時潮の流れが変わっていなかったら、平氏が勝っていたかもしれません。
 幕末、外国から人が渡って来て、攘夷思想が生まれました。日本から外国の人を追い出そう、という思想です。攘夷をなかなか実行しない幕府にしびれを切らした長州藩の久坂玄瑞などが、外国船を砲撃しました。下関事件です。日本は旧式の装備しか持っていませんでしたが、対する欧米は西洋式の最新装備を持っています。圧倒的な差に驚いた日本人は、近代化と軍の強化をはかることになります。
 このように、政治と海は深く関係しています。地球上にたくさんある海を、上手く使う事ができれば、経済は発展し、豊かな生活が送れるようになります。しかし、まちがった使い方をしてしまえば、昔あったような戦争が起きてしまいます。豊かさを産む海を、取り合わずに済むように。昔の戦争をよく知って、今の状況を考えることで、戦争をしなくても、海で世界が豊かになることは可能だと思います。私は海、とりわけ瀬戸内海が好きです。海の恩恵を取り合わず、世界で海を守って行くことが、世界の更なる発展につながって行くと、私は考えています。

2020年12月02日