佳作 これからの海

近畿大学附属和歌山中学校2年 中峯 早矢斗

 私たちは海から始まった。そして今も海と関わりながら生きている。だが、今私たちはその母なる海を汚している。人間は我が物顔でごみを捨て、そこに住む生き物たちを傷つけ殺している。その行為がどれだけ愚かなことであるか、どんな影響を及ぼすのか知っていてその行為をしているのだろうか。
 今、世界中で八十万トンものゴミが海に流れ出している。その八割がペットボトルやレジ袋などの街で捨てられたごみが海に流れ出している。海から離れているところでごみを捨てても海に流れ出てしまうということになる。風で飛ばされたり、排水溝から流れ出たり、川から流れ出たりなど、様々な原因でごみが流出してしまう。いくらごみを拾ってもごみが増え続ける理由がこれだ。いくらごみを拾い、いくら砂浜や海岸をきれいにしてもそれを上回る量のごみが流れ出ていたら当然ゴミは減らない。ゴミを拾うことも確かに大切だが、いま最も求められるのは、拾うことではなく止めることではないのだろうか。ペットボトルやビニール袋の使用を控えることがこれからの未来に必要になってくることではないのだろうか。
 私たちが捨てたゴミはたくさんの海の生き物たちに影響を及ぼす。現在、絶滅危惧種を含む七百種類もの生き物たちが傷つき、死んでしまっている。ウミガメがビニール袋をクラゲと間違えて食べてしまい、消化不良で死んでしまったり、プラスチック片を食べた鳥が胃にたまったプラスチックで満腹だと勘違いしてしまい餓死してしまったりなど例を挙げるときりがありません。ゴミをポイ捨てする人はわかっているのでしょうか。そのごみが罪のない生き物を傷つけていることを、殺していることを。
 プラスチックは、海の生き物だけに影響を及ぼしているわけではない。そのごみを捨てた私たち人間にも影響がある。因果応報ではないのだろうか。私たちが捨てたごみがだんだんと私たちの首を絞めてきている。では一体どんな影響はあるのだろう。プラスチックには有毒な物質を吸着する性質がある。プラスチック事態に害はなくともその有毒な物質が体内にたまっていき、私たちの体をむしばんでいく。ゴミをポイ捨てすることは、自分を傷つけるという行為につながっているのだ。
 あなたは想像できるだろうか。海で魚が泳いでいるのではなくごみが浮いている光景が。しかし、二千五十年にはこういった景色が広がってしまうのだ。私たち子どもが大人になり、私たちの子どもに見せる海がそんな海だったらどうだろうか。今の私たちが見ている美しく神秘的な海は、そのころにはもう見られないのだろうか。
 では海を汚しているごみはなぜ捨てられるのだろうか。ポイ捨てをする人は、自分の行動がどのような結果を招くのかわかっているのだろうか。そのごみ一つでどれだけの命を傷つけることになるのか。人間の「これくらいなら大丈夫」という精神がこういった結果に結びついているのではないのだろうか。何が大丈夫なのだろうか。ごみを捨てることでいったいどのような結果になるのかも知らずに。そのごみが海の生き物を殺すかもしれない。周りの人を傷つけるかもしれない。自分の行動がどのような結果に結びつくかをよく考えて未来を守るための行動が求められているのではないでしょうか。
 これからの未来、海の良さを引き出し、海を大切にできる暮らしは来るのでしょうか。それには大人の意識も変えていかなければならないと思う。これからの未来を生きるのは私たち子どもだ。だが私たちだけでこれまでのごみこれからのごみ、全てカバーすることはできないと思う。また、少しでもポイ捨てをする大人がいるとどれを見て育った子どももポイ捨てをするようになるのではないだろうか。これからの海がどのようになるかは私たち子どもだけでなく今の大人たち、たくさんの人たちが行動を起こさなければならないのでしょうか。海の未来は「今」にかかっているのではないと私は感じる。

2021年12月19日