銅賞 モーゼの海割りと日本の地形

高槻市立川西中学校 3年 西村 将真

 皆さんは「モーゼの海割り」をご存知だろうか。「モーゼの海割り」はユダヤ教の経典である「旧約聖書」に書かれているエピソードの中でも特に有名なエピソードである。
 紀元前十三世紀頃、モーゼはエジプトで奴隷として使役されていたヘブライ人を率いて、エジプトから脱出し、先祖が神に与えられたとされる約束の地「カナン」(現在のパレスチナ)を目指していた。その途中、エジプトの王ファラオによって差し向けられた軍隊に追いつめられたモーゼは、眼の前にあった海を割ってヘブライ人を渡らせ、ヘブライ人が全て渡りきったあと、海を戻し、追ってきた軍隊を溺れさせた、という内容だ。この後に、モーゼの後を継いだ一行は、様々な困難を乗り越えて、約束の地にたどり着いた。
 この物語は永らく、神のような力による奇跡のエピソードとして語られていたが、近年、現代科学によって謎が少しずつ解明されつつあるそうだ。
 「ワシントン・ポスト」紙によると、研究を指揮したアメリカ大気研究センターのカール・ドレウス氏は、考古学的な手法と科学的な手法を用いて挑んだ。まず、割れたとされる「葦の海」について、一般的であった紅海とする説ではなく、ナイル川沿岸のタニスという都市付近にできたラグーンであると考えた。その上で、当時の地形状況や気候をコンピューターで再現した。すると、東からの強烈な風を吹かせると、嵐のように水面が波立ち、海水が西へと追いやられ、浅瀬が姿を現し陸続きになることが分かった。更に、この浅瀬の状態は四時間弱ものあいだ続いたそうだ。
 また、十九世紀に入り、エジプトへ軍事介入した英国軍の記録にも同様の現象の記述があったこともわかった。当時の少将の記録には、「ナイル川が地中海へと注ぎこむデルタ地帯にあったラグーンの水が風により一時消えた」とあり、彼はラグーンの水が完全に消えたあと、「地元の人が泥の上を歩き回っていた」と記録している。
 この研究と英国軍の記録は、「モーゼが海を割った」エピソードが史実かどうか証明するものではない。しかし、奇跡と思われていた現象が、特定の条件下によって発生しうるということを明らかにし、「海が割れた」という奇跡のような現象を、物理的に説明してみせたのだ。
 過去には、神話上の都市とされていた「トロイ」の存在を固く信じ、実際に遺跡の発掘に成功した例もある。世界に伝わる数々の伝説には、その成立に現実の出来事が影響を与えている例が少なからず存在するのかもしれない。
 また、日本でも各地で似たような現象を見ることができる。その中でも有名なのが静岡県の「三四郎島」や香川県の「小豆島」である。普段は海に沈んでいるが、ある時刻になると海の中から島へ続く道が現れるという現象だ。ただし、日本で見られるこの現象の多くがトンボロ現象と呼ばれる現象で、「海の満ち引き」が関係している。沿岸流などによって堆積した土砂が干潮時に現れるのだ。この干潮時に現れる「島への道」は、「陸繋砂州」と呼ばれるもので、イタリア語でトンボロと呼ばれる。また、同じように日本で見ることができる、沿岸流による堆積した土砂でできた地形に「砂嘴」と「砂州」がある。
 回析と呼ばれる「波が障害物の裏に回り込もうとする」性質によって、陸から島のくちばし状に土砂が堆積した地形を「砂嘴」と呼ぶ。更に、土砂が供給され続けると、砂嘴の先端が伸びてゆく。その結果、入江が塞がった形になった地形のことを「砂州」と呼ぶ。この砂州のような地形で有名なのが京都府の「天橋立」である。天橋立は日本三景にも含まれており、砂州に松が茂っている様子が天にかかる橋のように見えることからその名がついたと言われる。このように、モーゼの海を割ったエピソードも現代の科学によって実際に起こりうる現象であると説明することができ、似たような現象を日本でも見ることができるのだ。昔では不可能とされていたものや、解明されていなかったことも、科学の進歩によって解明されつつある。


2022年12月09日