銀賞 釣りからごみ問題を考える

大阪市立長吉六反中学校 3年 松井 菜奈

 私の父は釣りが大好きだ。そこで私が夏休みに入った時、父に誘われ釣りに行くことになった。
 連れてきてもらった場所は釣りのできる防波堤だった。私と父の他にも子ども連れの家族で来ている人もいれば一人で黙々と竿を振っているおじさんもいた。
 そして来てすぐに私は気付いた。とてつもない海の汚さに。海洋汚染やプラスチック問題は嫌になるほど耳にしてきたし、画像だってテレビで何度も見ていた。だが私は普段海とは全く縁のない生活をしていたためテレビの画像だって海外の一番酷い様子を映しているだけで、実際はそこまでだろうと軽い考えを持っていた。
 でも、実際の海はどうやら本当の本当にピンチなようだ。私の目の前にあった海もテレビで見るほどではないが、とてもにごっていて、色々なものが浮かんでいる。そして私は父に尋ねてみる。
「海っていつもこんなに汚いものなの?」
すると父はこう答えた。
「こんなもんよ。ここは沖縄の海じゃあないんだし。」
と、当たり前のように答える。
 いざ釣りを始めてしばらく待っていると、早速小さい魚が一匹釣れた。そしてまた針にエサを付けて竿を振る。するとしばらくしても全く魚がかからない。おかしいと思い私は一度竿をあげてみた。すると針にかかっていたのはエサではなくぐるぐる巻きに絡まっていた釣り糸、通称“ライン”というものだった。私はとても驚いた。それを見た父は
「うわ、ラインひっかかってるやん。」
と、これもまた当たり前のように言った。こんな簡単にゴミが釣れるのかと思っていたその時、いきなり風が吹いてきた。海のそばにいるということもあり、中々の風だった。すると隣にいたおじいさんの持ってきていたエサを入れる袋があっけなく飛ばされて海に落ちて流された。おじいさんは無反応でそのまま釣りを続けた。
 一日釣りを楽しみ私は家に帰ってすぐに釣り場のごみ問題について調べた。するとすぐにものすごい量の記事が出てきた。いくつか見ても、みんな似たり寄ったりな内容ばかりだった。
 まず、私が釣ったラインはナイロンなどの化学繊維であることが分かった。現在の釣り糸として主流になっており、細くて強いためそれによって釣りの世界は大きく広がったのだと言う。
 化学繊維は工業製品のため太さや長さを自由に作ることができ、強度や価格面でも非常に優秀だが、その反面化学製品であるため天然素材のような分解が起こりにくい。使用を繰り返すうちに劣化して切断されることはあるものの、それ自体はなくならず水中や水辺でいつまでも存在し続けてしまうので、まさに私が釣った時のように水中で絡まって浮遊しているのだと思う。切断や摩耗によって小さくなっても、俗に言う“マイクロプラスチック”とやらになってしまう。魚たちが糸に絡まれば命に関わる可能性がある。
 次に釣りに欠かせないのは、オモリだ。オモリのほとんどが鉛を材料としており、その特徴として加工がしやすく、それでいて高比重。なのでエサを付けた仕掛けを水中に沈めるオモリとして重宝されてきた。
 そんなオモリの短所は、鉛は生物にとって有害だということ。これまで鉛は水中に速やかに溶け出すものではないとされてきたが、近年の研究によって、鉛製の水道管を通過した水から鉛イオンが検出した事例があり、一定量を誤飲すると健康被害が発生されるという。そんなオモリを多くの釣り人が水中へ投げ込み、時には糸が切れて水中に残してしまっている現状がある。
 こうした危機感の高まりを受け、釣具メーカーでも「生分解性釣り糸」という表面にバクテリアなどが付着すると、その働きによって水中に残ったラインがやがて分解されるという画期的なものや、鉛を使わず水中で腐食して水生植物などの養分として取り込まれる鉄を使用したオモリも開発されているが、従来品からの転換はスムーズとは言えないのが現状である。
 それらを踏まえて私はこの夏もう一度釣りへ行って、今回学んだことを生かしていきたい。今からできることは、まず、「ごみを拾って帰ること」だと思う。ごみ用の袋を持参し、積極的に人のごみも拾っていきたい。
 釣り人だけが海を汚している訳ではないが、環境への配慮を全くしない釣り人がいる限り魚と海の安全は守られません。なので釣り人の意識向上を課題とし、これ以上魚が減っていかない世の中になって欲しいと思う。


2023年12月07日