佳作 僕から見る海

大津市立打出中学校 2年 上村 謙真

 八月中旬、僕は家族と一緒に父と母の実家である鹿児島にいきました。最初は市街の方で友達と遊んだり、家族とご飯を食べたりしました。桜島もくっきりと見ることができてよかったです。そして次は唐代の高僧で唐招提寺を建てた鑑真が上陸した南さつま市の坊津という自然豊かな町に行きました。そこで海で泳ごうという話になり、海に行くことになりました。山道を抜けて辿り着いた浜辺から見た景色は、雲一つない空とどこまでも続く水平線で青海原でした。自分が見ている景色は、世界中でどこまでも続く「海」というものなのだと感動しました。また、この波の音からも何万年、何千年もあの地この地を行ったり来たりしているのかと分かりました。それから、海に入りました。浅瀬には小さく素早い魚がいました。そして父と沖の方へ泳いでいきました。海底を見ると学校で習った通りにれき、砂、どろがきれいに分かれていました。海はこんなにもきれいで楽しいものなのかと思いました。そして、しばらく沖の方へ向かっていくとだんだん視界が狭くなり、水温も冷たくなっていきました。そこで父に引き返すように言い、浜辺に戻ってきました。このときに「海」というものは、きれいで楽しいものだが、一歩踏み間違えると事故にあったり溺れたりしてしまうことを知りました。また、海水を飲みすぎたせいかのどがとても痛かったです。そして、次は、少し大きめの魚が見たいということで岩場に沿って泳いでいきました。そこは、浅く太陽の光が当たっているため、海底もはっきりと見えました。だから、目当ての大きめの魚を見ることができました。それは、腹がふくらんでいたから、フグだったと思います。また、平らな魚が数匹いる群れもいくつか見ることができました。しかし、そこは岩場だったからウニがたくさんいました。岩に乗ろうとするとウニの針に刺されるかもしれないから、浮くしかありませんでした。しかし、手をついてしまい、指に少し傷がついてしまいました。痛かったです。そのあとも波の動きに任せて浮いてみたり、ボールで遊んだりしました。海の中は、地上よりも体を動かしにくかったです。海にいるときは、気付かなかったが、地上に上がると体の疲れがドッと出た感じがしました。そして、アイスを片手に浮輪を肩にかけ山道を通り帰りました。その日は、ぐっすりと寝ることができました。次の日は、父と一緒に魚釣りに行きました。前日とは、別の浜辺に行き、キスというスズキに似ている細長い魚を十匹釣ることを目的にしました。堤防に上がり、海を見ました。前日とは別の景色でしたが、海という美しさには違いありませんでした。そしてさっそく糸を下しました。僕は、たびたび波の動きと魚の食べる動きを間違えてしまいましたが、初めて釣れたときはうれしくてたまりませんでした。そして魚を持ち帰って食べました。もちろんおいしかったが海にはまだまだおいしい魚やおかしな魚、未だに確認されてない魚がいるのかと思いました。気になって調べてみると、人類が海について分かっていることは、たったの十五パーセントというところが特に驚きました。最後に家族の中で一番海について知っている僕の祖父に話を聞きました。僕の祖父は、船でサウジアラビアやアラブ首長国連邦に行き、石油を半年から一年かけて日本へ運ぶという仕事をしていました。祖父によると、船にずっといることはなく、シンガポールなどの国々に寄り、観光することもできたそうです。また、船の旅は長いため、海賊に襲われる可能性もあったそうです。だから、万が一のために船に大金を積んでいたそうです。僕は、今年の夏休みにたくさんのことを経験し、海について知ることができました。海の楽しさや美しさ、恐怖、危険さなどです。この経験を生かして海で遊んだり釣りをしたいです。来年も海にいけるように願います。


2023年12月07日