吹田市立古江台中学校 2年 市場 大都
僕は運動が苦手だ。走ること、ボールを投げること、とにかく体を動かすことがあまり得意ではない。だが、一つだけ得意だと言えるスポーツがある。水泳だ。
僕の住んでいる吹田市は、水泳にとても力を入れている。小学六年生の夏休みに遠泳があるからだ。海を平泳ぎで2キロ泳ぐ、一泊二日の宿泊行事である。運動が苦手な僕を心配した母親の考えで、僕は幼稚園に通う三歳のときからスイミング教室に通っていた。水に顔をつけることもままならなかった僕は、小学二年生になる頃には四泳法を習得していた。
2022年6月、プール開き。小学校最後の夏が始まった。毎日のようにプールの授業があり、ひたすら平泳ぎと浮き身の練習をした。浮き身とは、仰向けになって体の力を抜き水に浮かぶこと。2キロを泳ぎ続けることはできないので、休憩のため浮き身をはさむのだ。僕たちは7人ほどのグループにわけられ、それぞれに、1人の先生がついた。これで一つの班になり、班のみんなで協力しながら泳ぐ。息継ぎの時には隣の仲間と目をあわせ何事もないか確認しあい、「浮き身。」と号令がかかればみんなで仰向けになる。浮き身が苦手だった友達も、数か月の練習で見違えるほど上手になった。みんなで協力して泳ぎ切るため、僕たちは一生懸命だった。
あっという間に遠泳当日、僕たちは竹野浜に降り立った。砂浜からみんなと見た海は、太陽の光を浴びてきらきらと輝いていた。
準備運動をして海へ入る。絶対にみんなで泳ぎ切りたい。そのためにみんなで頑張ってきたんだ。先生の号令で泳ぎ始める。プールとは大きく違う。波のせいで真っ直ぐに泳げない。隣の友達も泳ぎにくそうだ。とにかく必死に泳ぐ。どれぐらい泳いだだろう。「浮き身!!」先生の号令がかかった。みんなで一斉に仰向けになると、驚くほど浮きやすかった。プールでは胸を反らして力を入れて浮いていたが、この時はまるで海が優しく背中を支えてくれているような感じがした。全身の力を抜いて、海に身をまかせる。青い空を眺めながら波にゆられていると、自分も海の一部になったような気分になった。「浮き身終わり。」先生の声で一気に現実に引き戻される。でも少しずつ、周りも自分も海に慣れてきたみたいだ。友達と息を合わせるように、海ともリズムをあわせる。伸びてかいて、伸びてかいて、僕も海の一部なんだと思ったら、とても泳ぎやすくなった。海も僕らの仲間だ。「一緒に頑張ろう。」心の中で海に話しかける。平泳ぎと浮き身を繰り返し、2キロ。長いと思っていたが、あっという間だった。海も協力してくれた。6年生全員で泳ぎ切ることができた。
海から上がりよろよろと歩いていると、先生がなにかを手のひらに載せてくれた。冷たくて、海と同じように太陽の光を浴びてキラキラしている。「氷砂糖だよ。」と先生が声をかけてくれた。口に入れると甘い香りが広がった。冷えた氷砂糖が疲れた体にしみ渡る。言葉にできないほどおいしかった。こうして僕たちの遠泳は終わった。
振り返ってみても、あの日ほど海を身近に感じたことはない。僕の住んでいる市に海はないし、海の存在を意識することなど、1年に1度あるかないかだった。でも、海は僕らと共に同じ地球に生きる仲間なのだ。そう強く感じだ2日間だった。
海の問題を考えるとき、漠然とただ大きい海を思い浮かべる人が多いだろう。そのため、海が抱える問題が重要で大切なものだと分かっていても、多くの人にとっては遠いどこかで起こっている問題になってしまう。けれど、僕が思い浮かべる海はきっといつまでも、竹野浜のあの海だ。あの日、一緒に目標を成し遂げた海。僕らの仲間である海だ。仲間が困っているなら、自分にできることをしたいと思う。自分にできることを考え、行動しようと思う。僕のように海を身近に感じた経験のある人が増えていけば、海への議論ももっと活発になるのではないかと思う。きっと自分の事として考えられる人も増えるだろう。海の抱える問題を知ってもらうことも大切だが、海の魅力を伝えることも同じくらい大切ではないだろうか。