銀賞 碧い海とともに

近畿大学附属和歌山中学校 1年 出山 碧海

 僕の名前は、「碧海」と書いて「あおい」と読む。両親が僕に、海のような広い心を持ってほしいと願って付けてくれた名前だ。僕は、幼い頃から和歌山県内の山から川、海まで様々な自然に触れてきた。そして行った場所で色々な生き物を捕まえて過ごしてきた。
 そんな中、僕が2歳頃から今に至るまで趣味として続けてきたのが釣りだ。釣り好きな父の影響もあり、海で小魚を釣ることから始まり、13歳の今日に至るまで色々な生き物を釣ってきた。ちなみに釣った魚はおいしくいただくのが基本で、母は魚さばきの達人だ。釣りの思い出は多数ある。
 例えば、小学3年生の夏、有田川の河口付近では、竿先が微妙に揺れるので回収しようとすると、ものすごい重量を感じた。正体は何と大きなカニだった。甲らの幅が30センチ以上あり、紫色で迫力のあるガザミというカニで、ゆでるととても甘くて美味しかった。
 また、海南市の堤防で、ルアーという疑似餌を投げてタチウオを狙っていた時のことだ。突然、竿がとんでもない角度で曲がった。格闘の末、釣り上げたのは50センチ程のサワラという魚だった。刺身で食べると、実に美味しかった。
 続いては、和歌山市の堤防でカサゴを狙っていた時のことだ。いきなり竿先が海面に突き刺さるように曲がり、引きが強い。辛抱に重い魚体を持ち上げると、なんと幻の高級魚と呼ばれるクエだった。30センチ程あり、持ち帰ってクエ鍋として食べた。父が、
「小さくてもクエはクエやな。いい出汁も出てるし、美味しい鍋やな!」
と褒めてくれた。とても嬉しくて、魚を釣る楽しさをさらに深めることができた。
 釣りの魅力はとても語り尽くせないが、実は最近心配していることがある。釣りを始めた頃と比べて、魚が釣れなくなってきたことだ。釣れたとしても魚が小さい。大物が釣れるのはまれである。それはなぜだろうか。
 その原因はたくさんあると思うが、僕なりに大きく2つのことを考えてみた。
 一つは「海洋汚染」である。人間が出したゴミや排水などで海が汚染され、生き物の生活環境が悪化しているのが原因ではないか。
 人間が出したゴミが海に流れ着くものが海洋ゴミと呼ばれるが、中でも特に問題になっているのがプラスチックゴミだ。これは生ゴミなどと違って自然には分解されない。海の生き物が食べ物と間違えて飲み込み、体内に異物がたまって死に至るケースが増えている。
 海に流出しているプラスチックの量は世界全体で毎年800万トン以上と言われ、このペースが続くと、2050年には海のプラスチックの量が魚の量を上回る計算になるそうだ。
 海洋汚染の原因は、船舶やタンカーなどからもれる油、工場排水、家庭から排出される生活排水などもある。それらは赤潮の原因にもなる。赤潮はプランクトンを異常発生させ、魚を大量死滅させてしまう。
 魚が釣れなくなってきたと感じる原因の二つ目は、「釣り人の増加とマナーの問題」である。
 特に4年前からは新型コロナ禍で三密を回避できるアウトレジャーとして釣りを楽しむ人や家族連れが増加し、それに比例して「マナーの悪さ」が目立つようになってきてるようだ。例えば、
「釣り禁止の場所に勝手に入る。」「駐車禁止の場所に勝手に駐車する。」「グループで場所時間を問わずに騒ぐ。」「乱獲。小さな魚もリリースせずに持ち帰る。」「ゴミを捨て放題する。」など、まだまだ多くの問題点がある。少なくとも僕は20センチ以下の魚や子持ちの魚は絶対逃がすようにしているし、これからもマナーを守って釣りをしたいと思っている。
 一番困るのは迷惑行為によって、ロープが張られ立入禁止になってしまい、釣り場が減ってしまうことである。マナーを守って誰もが安心して釣りが楽しめる環境を創っていかなければならないと強く感じている。
 僕は毎年、夏の自由研究で「海」に関して調べ、和歌山市から新宮市までの海岸線の各地を観察したり、紀ノ川の淡水、汽水域、河口付近の水質とそこに生息する生き物を調査したりしてまとめてきた。
 それらの研究を振り返って感じることは、和歌山県の海は豊かな自然に育まれた素晴らしい海だということだ。それはまさに生き物がたわむれる濃く深い「碧い海」だ。
 この海をはじめに和歌山の尊い自然環境を、そこに暮らす人々の意識と行動で守っていかなければならないと強く感じる。
 改めて僕の名前は「碧海」、碧い海と書く。この名のごとく、これからも僕は釣りを通して、海に触れ、海を楽しみ、海を知ることを自分の活力として生きていきたい。


2024年12月01日