佳作 海の顔

大阪市立文の里中学校 2年 西田 朱里

 私は、さまざまな海の顔を知っている。
 私は小さい頃、インドネシアに住んでいた。たくさんの島から成り立つインドネシアは、当然ながら海に囲まれている。そこでの生活は、いろいろな島に遊びに行く機会が多かった。最も印象に残っているのは、マナド島への旅だ。最寄り空港に着くと、すぐに小さな船に乗った。船から見る海は、太陽の光が水面に反射してキラキラ輝いていた。とても美しい海の顔。島で滞在する間、どんな楽しいことができるのか、わくわくした。
 滞在中、シュノーケリングをした思い出は、今でも鮮明に残っている。海の中にもぐると、何百何千というキラキラ光る小さな魚たちが、同じ方向にぐるぐると回りながら泳いでいた。また、面白い模様の魚や鮮やかな色の魚がいきいきと泳いでいた。たまに私の足元を優雅に泳ぐエイ、力強く泳ぐウミガメなど、インドネシアの海ならではの経験をすることができた。まるで、日本のおとぎ話「浦島太郎」の絵本に出てくる龍宮城のようだった。美しく、また楽しい海は今でも忘れられない。
 一昨年、兄の高校進学の下見に大阪から高知県を車で訪れた。その途中、大鳴門橋から鳴門海峡の渦潮を見た。今まで見たことのない険しい海の顔。荒く、ぐるぐると回っている渦潮に、そのまま引きずりこまれそうだった。マナド島で見た海とは全く違う迫力だった。どこか怒りをあらわにしているような海からは、冷たい印象が残った。怖さも感じた。
 高知に着き、私たち家族は兄の進学したい高校を見た後、桂浜に行った。初めて見る桂浜からの海は、見渡す限り青かった。「海」。その一言だった。地平線が広がり雄大だった。堂々としていて、広い心で、私を勇気づけてくれるような、頼もしい海の顔。桂浜の砂浜で兄としばらく寝ころんで、景色を眺めたり、波の音を聞いた。その後、兄は、急に起きあがり、
「おれ、ここで頑張れる気しかしない。」
と言った。高知県にある高校に進学すると兄が決めた瞬間だった。その兄を見た時、私は悟ったのだ。坂本龍馬もその昔、この桂浜から見える太平洋に強く押され、日本を変えていこうと決心したのだろうと。私は、兄と坂本龍馬が少しかぶって見えた。桂浜から見える海には、お父さんのような強さを感じることができた。
 おそらく、これから先も私は、またちがう海の顔を見る機会があるだろう。その一つ
一つ、ちがう意味のある海の顔を楽しみたい。そして、海からたくさんのことを学びたい。海は、私たちの身近な所にあって、私たちの生活を支えてくれているだけではなく、いろいろな顔を見せてくれることで、私たちの心も支えてくれているにちがいない。私たちの心を支えてくれている海に頼ってばかりではなく、私たち人間は海への感謝を忘れてはいけない。最近、話題になりがちな海洋汚染で、海に悲しい顔をさせてはいけない。海との共存で、すばらしい未来が存在するはずだ。そのような未来で、私はあの美しい海の顔を見続けていきたい。



2024年12月01日