近畿大学附属和歌山中学校2年 出山 碧海
今年も、僕の大好きな夏がやって来た。僕の趣味は年間を通して四季の魚を釣る事だ。しかし、夏は基本的に暑過ぎて釣りには向かない。今年は例年よりも猛暑となり、ますます釣りに行く事が出来ない。その代わり夏の海では浅瀬や磯で水に浸かったり、多種多様な生物を獲ったりしながら楽しんでいる。
この時期、毎日必ずニュースの話題に上るのが水難事故に関するものだ。同年代の中高生や子供、大人に至り、命を水辺で落としてしまうというとても悲しい内容だ。夜のニュースを見ながら家族で話すとびっくりすることもある。和歌山の田舎育ちの母は、「学校のルールで小学四年生以降は三人以上居れば川に遊びに行っても良かったよ。今より水量も多くて流れも早かったから。」「お父さんも自転車で海に泳ぎに行ったりしてたな。子供なりにルールを守って、水の深さや地形、怖さを学びながらも楽しんでたな。ライフジャケットも携帯も無かったから、周りの人と声を掛け合って遊ぶ事もあったな。」と、今では考えられない話も多い。子供だけで川や海、更には連絡する手段も無い中、水辺に行く。今だったら大人の雷が落ちるような内容だ。僕も怖くてそんな事出来ない。
昔も水難事故はあったのだろうが、今の時代程安心、安全で便利な環境は無いだろう。それなのに何故これだけ毎年注意喚起しても海で事故が起きるのか、疑問に感じた。たいていの場合、海中で急に変わる地形で足を取られたり、離岸流に気付かなかったり、ライフジャケットを着用していなかったなどの理由が挙げられている。
僕の通っていた小学校では、六年生の最後のプールの日に着衣水泳を行っている。普段着を着たまま水の中に入り、冷静に落ち着いた判断と行動が出来る様にする為の訓練だ。服の重量が体にくっ付いて来て少し動きにくいが、目的は体の力を抜いて水面に浮くことであるため、友達と「全然余裕やな。力を入れんかったらすぐ浮いたな!これで安心や。」という感じで、自信満々だった。しかし、海の怖さを知るということはそんな一回では到底身に付くはずは無かった。
僕は毎年夏の自由研究で海や川などに関する調べをしてきた。今年は、いざという時にライフジャケットの代わりになりそうな物をいくつか探し、浮力の実験をする事にした。誰でも持っているような身近で手軽な物がどの程度浮くかを調べた。自分の知識量を少しでも増やし、友達や家族皆でもっと海や川での水遊びを楽しめるようにしたかったからだ。
紀ノ川で実験を実施中、スマホのアラームがけたたましく鳴った。滅多に無いので驚いたが、調べるとロシアのカムチャッカ半島で観測されたマグニチュード八を超える巨大地震による津波注意報だった。外国の注意報かと実験を再開し数分後、すぐに津波警報に変更され、サイレンがあちこちで鳴り始めた。「これはあかん!急いで帰ろう!」と道具を片付け、即帰宅した。テレビでは、全ての番組で津波警報の報道をしていた。
昼頃になると各地の海岸に津波が到達したと伝えられ、緊張感が高まっていった。和歌山県にも避難指示が出て、サイレンは鳴り続けた。また、同時刻に紀ノ川付近の上空を防災ヘリが飛んでいて、夜のニュースで紀ノ川の遊泳禁止エリアで中学生が溺死したと知った。身近な場所で一日に多くの事象を見て、海や河川の怖さを学ぶこととなった。
翌日、警報が解除された海で調べを続投した。ゴミ袋、カバンなど検証した結果、始めの予測通りライフジャケットが一番安全であると解った。最後に、服のままライフジャケットと命綱を付けた僕が入水した。いつも釣りをする漁港で、波も無かった。安全も確保し、手足を広げて着衣水泳と同じようにしてみたが、手足がどこにも触れず、深い海に囲まれ、恐怖心が強くあった。海水も口に入りあせりも上昇した。数分数秒も冷静ではいられなかった。
海を知り、知識も深めるという事は、怖さを知る事だと思った。怖さを体感し、身近に感じる事で初めて気を付けて楽しむ事が出来るのだと思う。ライフジャケットの大切さも改めて解った。使い方や利用法を理解した上で、着るのが面倒臭い、恥ずかしいなどという固定観念も変わっていけばもっともっと普及するのではないかと思う。自分達の海や川への知識や情報を増やし、その「意識」を普及させる事が一番大切だ。水の怖さを知る事で一人一人が自分達の身を守ったり、守り合ったり出来るのだと感じる。海遊びを存分に楽しみ、良い経験がたくさん出来る様僕も全力で海に行こうと思う。

