佳作 自然の「鬼」を感じる

高槻中学校 2年 小山 司

 今年のゴールデンウィークで、母に車を運転してもらい、五日ほどかけて紀南を旅行しに行った。熊野三山も巡ったが、海沿いを多く通ったので、紀南の海を見て思ったことを書こうと思う。
 まず僕たちが行ったのが、和歌山県由良町にある白崎海洋公園だ。昨年の台風の爪跡が未だ残されていたが、それでも石灰岩の大きさには圧倒された。石灰岩の白と海の青という鮮やかなコントラストには圧倒された。
 名前に令和が入る「カクレイワガニ」がいるすさみ町の「エビとカニの水族館」へ行った後、僕たちは串本町へ行った。
 まず初めに、橋杭岩を見に行った。およそ千五百万年前に紀伊半島にあった日本最大級のカルデラ、熊野カルデラ。およそ千四百万年前に、その火山活動によってマグマが地表に現われ、それらが海の波によって少しずつ削られて、一方向にのみ岩が転がっている現在の形となった。大きな岩から小さな石までたくさんあったが、それらを運んでいく波の力はどんなものだろうと感じた。また、岩に打ち付ける波がしぶきをあげていて、その音にも圧倒された。
 次に、紀伊大島のトルコ記念館や日米修好記念館、樫野崎灯台を回った。
 トルコ記念館では、エルトゥールル号遭難事件について事細かく記録されていた。
 一八九〇年、串本・大島沖でトルコ軍艦エルトゥールル号が座礁した事故。島民の努力によって六十九人が救出された。後にトルコが医療費を請求するよう要請したのに対し、島の医師たちは「痛ましい遭難者をただ気の毒に思い行ったことです」と返し、請求しなかったという。
 その後、十九八五年のイラン・イラク戦争にて、「四十八時間後にはイラン上空の全航空機を爆撃する」と言われている中、トルコ政府は、トルコに残された日本人のために飛行機を飛ばしてくれた。トルコの在留邦人たちの感謝の言葉に対しトルコ政府は、九十五年前の恩を返しただけだなどと答えたそうだ。
 これらの見返りを求めない精神は、串本の人やトルコ国民のみが持っているものではないはずだ。日本ではこのような出来事があったことを知らない人が多い。僕もトルコ記念館へ行くまでは詳しく知らなかった。自分の欲望やお金に支配されることが多いこの世の中、一度歴史を振り返り、歴史から何かを学ぶことが必要かもしれない。
 串本町を出て、商業捕鯨で話題になっている太地町の、「くじらの博物館」へ行った。動物園や水族館以上の数のイルカやクジラが飼育されていて、これだけたくさんいるのになぜ来る人が少ないのだろうと思うほどだった。また、テレビで見かける「捕鯨砲」もこぢんまりと展示されていた。鯨を食べたこともなく、当事者でもないので、捕鯨についてあまり言えないが、時間がたてば可能になることもある地域の文化のためだけに、国際社会から外れるようなことが容易にできるのかと感じる。地域の文化を守りたい気持ちがあるのかもしれないが、世界の国が様々な事でいがみ合いをしている中、今することではないように感じる。
 その後三重県に入り、鬼ヶ城へ行った。この時は雨が降り、海も荒れていた。したたる水とあの波が、この空間を作り上げたのかと思うと、身震いをする。
 東日本大震災という未曽有の災害が起こった。東北の人々は、あのような形で海の怖さを知った。実際には体感したことのない僕は、「海は怖い」と言うことすらできない。多くの人を魅了してきた広い海は、人間の活動場所になると同時に、人の命を奪う存在である。僕たち人間は、自然が形作る「鬼」と向き合う必要があると思う。
 この他にも様々な場所を巡ったが、僕はこの旅行で、「自然崇拝」の精神を深く感じた。那智の滝や鬼ヶ城、橋杭岩、花窟神社、古座川の一枚岩、熊野古道などに、様々な神話があると知り、岩や滝、森などの自然を崇めていることがよくわかった。これらは熊野信仰と言われ、今もたくさんの人が紀南へ訪れている。大地の営みによって作られたこれらの自然を眺めると、こんなに偉大な自然を人間は支配したり、自分の欲望のために利用することはできないと感じた。
 地球温暖化やプラスチックゴミの問題など、解決しなければいけない点が地球上には計り知れないほど存在する。一度、歴史を振り返り、昔の人は自然をどのようにとらえていたか、人間は自然に対してどんな存在なのか、人間は本来どんな生き物なのかを学び、考え直す必要があると、僕は感じる。

2019年12月01日