佳作 海が困れば人も困る

帝塚山中学校 1年 増田 隆太

 「うみは広いな大きいな」という歌を聞いたことがあるだろうか。歌詞の通り、海は広くて大きく、船を利用すれば他の国に行くことが出来る。また、魚を獲ることも出来る。
 このように、海は人々にとって必要なものであり、欠かすことの出来ないものである。
 しかし、この大切な海が変化してきているのだ。
 ところで、一年間で世界中から海に流されるごみの量を知っているだろうか。「日本財団」によると一年で八百万トンのごみが海に流されるという。そしてこのペースでごみが流されると二〇五〇年には魚よりもゴミの量が多くなるそうだ。また、種類別に見ると使い捨てのプラスチックが断トツの一位だ。プラスチックは溶けにくく、魚がそれを飲み込んでしまい海洋生物に悪影響をおよぼしている。
 例えば、先日インドネシアで獲れたマッコウクジラだ。プラスチックコップ百十五個、ペットボトル四本、レジ袋二十五枚、ビーチサンダル二足、総重量六キロ近くが体内にあった。また、同様に合成粒子八百個が入ったウミガメも発見されている。
 このように、ごみにより海洋生物がダメージを受けてしまう。
 しかし、ダメージを受けるのは海洋生物だけではない。人もダメージを受けるのだ。先ほど例にあげたインドネシアでは良い魚が獲れなくなる。すると魚が市場に出回りにくくなる。そうなると、魚が食べられなくなるかもしれない。日本人だからこそ、強く思うのかもしれないが、スーパーから魚が消えると大事件である。
 では、そうならないためにはどうするか。ゴミを流さなければ良い、と思う人は多いと思う。しかし、簡単に解決出来る問題ではない。それはなぜか。実は、ごみを海に流さず海岸にごみを捨てなくてもごみは溜まるのだ。街にごみを捨てる。雨が降りごみが排水溝を通って川に出る。川を下って海に出る。どうだろうか。今の通りだと海にごみを流さなくても、結局ごみは流れてしまう。つまり、ごみは海岸だけでなく、街でも捨ててはいけないのだ。ぼくは、今年の七月に海に行った。砂浜を歩いて見ると分かるのだが、タバコ、コーヒー缶、木など多種多様なものが落ちていた。驚いたのは割れたビンだ。こんなものを踏んだらどうするんだと思った。
 人々は海にごみが流れていることをどう思っているのだろうか。「日本財団」の調査の中で「海洋ごみの削減について誰の取り組みが必要か。」という質問があった。一番はメーカーで八十五・二パーセント。次に政府、地方自治体と続き、四番目は、八十ニ・一パーセントの個人。このことから、人は海洋ごみの削減に主体的であることが分かる。しかしなぜ減らないのか。簡単なことだ。残りの十七・九パーセントの人が意識していないからである。例えば世界百九十二ヶ国の内約八十パーセントの百五十四ヶ国が海にごみ出さなくても残り三十八ヶ国がごみを出すと海は汚れる。つまり、一人が意識しても皆が意識しなければ解決しないのである。
 では、何をすれば良いのだろうか。
 一つ目、ごみの持ち帰り。外出時に出たごみは持ち帰るか、指定の場所で捨てる。こうすることで、街から海にごみが流れない。
 二つ目、毎日の暮らしでごみを最小限にする。買い物ではレジ袋ではなくエコバッグを使い、いらない袋はもらわないことだ。結局ごみになるものをもらわなければ、捨てるものがないので、ごみを減らすことになる。
 三つ目、地域や団体の清掃活動などに参加する。僕も毎年、地域の川周辺を清掃する活動に参加している。空き缶やプラスチックの弁当箱の容器などを拾ったり、伸びすぎた草を刈ったりしている。この活動に参加することでごみを捨ててはいけない、という意識が強くなる。この三つの事はごみを減らすことに大切だと思う。
 つまり、海が汚れて一番困るのは、人間だということだ。そして、それを止めるのも人間だということだ。人間を守るために意識しなければならない。

2019年12月01日