佳作 津波の恐さ

帝塚山中学校 2年 大澤 歩果

 二〇一一年三月一一日、東日本大震災がおこった。たくさんの家や人の命を津波がすべて、うばいさってしまった。その日のテレビに映る映像は当事者たちはその時見ていない。
 私の父が整形外科医として、岩手県の陸前高田の病院に災害支援にいった。私も幼稚園の夏休みに、陸前高田にいき、ずっとずっとむこうまで津波が来たあとの何もない陸前高田市の町を見て、衝撃を受けた。電車が通っていたはずの線路や駅、電車があとかたもなかった。波がすべてをのみこむ恐さを知った。
 被災者の話では、町中の体育館には70人ほど逃げたのだが、助かったのはたった3人だけだった。この3人は多くの人が波間に消えていくなか、体育館の天井の鉄骨に必死にしがみついて、波から逃れることができたのだった。
 また、気仙小学校では、校長先生が「山を登れ」と叫んだ。生徒も住民の人も一目散に逃げた。しかし、津波の速さは、時速五〇キロメートルはあった。校庭では逃げ遅れた人や車が呑み込まれていった。それは、十数メートル上ったときのことだった。小学校の体育館から2度ほど火柱が上がった。漏電が原因のこの火災は一晩中燃え続けた。小五、六年の生徒を先頭に道をつくりながらのぼった。何も言わずに足早にのぼっていた。この校長先生の”山に登れ”と叫んだ一瞬の判断が人々の命を救った。
 また、病院の屋上には一五〇人ほどが逃れ身動きがとれない状態。しかし、この日夕方から雪が降った。寒さとの戦いが待っていた。院長先生は、”寝るな!寝るな!寝ると死ぬぞ!”と励ましていた。辛かったのは、屋上が狭くて自由に動かせなかったことだ。30分交代で、立ったり座ったりしながら17時間以上を耐えた。ここで亡くなった人もいた。
 私が住んでいる大阪では約三〇年のうちに、南海トラフという大地震が約百年に一度という周期でおこるらしい。もし南海トラフが来たら静岡県から宮崎県に、かけて震度七となる可能性があり関東地方から九州地方にかけて太平洋沿岸の広い地域に一〇メートルを超える大津波の襲来が想定されている。特に、津波の高さが高いのは、高知県で「三四メートル」、静岡県で「三三メートル」、東京の伊豆諸島、小笠原諸島で「三一メートル」と三〇メートルを超えている。三〇メートルは7~8階建てのビルの高さに相当する。しかし、東日本大震災がくる前の想定ときてからの想定はちがった。きてからの方が波の高さは高くなっていた。ここが津波のこわいところだ。
 二〇〇四年十二月におきたインドネシア・スマトラ島大地震の津波を見ていこうと思う。この津波は、海底から海面までの海全体が根こそぎ動かされることからすさまじいエネルギーになった。またスピードも速い。沖合では、ジェット機並み(秒速三二〇m)の速さで、陸に近づいてからも新幹線並み(時速二五〇m)の速さで襲ってくる。海岸で津波が見えてから逃げ切ることはできない。津波災害から命を守るには、地震が起きたら一刻も早く逃げることが大切である。
 一八九六年におきた三陸沖地震は二〇〇キロメートルも離れた深海で地震が起きた。地上では大きな揺れにならなかったというが、地震から三〇分後に最大三八メートルの津波が襲う。集落を飲みこみ二万人以上が亡くなった。このように地上で感じる揺れが小さくても大きな津波が襲ってくることがある。
 津波をもたらす原因は、海底地形や海水の体積の短時間での変化海水への衝撃波によって引き起こされる。海における津波の発生原因として、海底で接触し合っているプレート同士の弾性反発に起因する急激なずれ、つまり浅海底での地震が最も大きな割合をしめる。このほか、海岸地域で起こる地滑り、海底火山の活動、海底地すべりなどの地質学的な要因があげられる。また、過去においては、海洋への隕石の落下により引き起こされた事例も確認されている。
 津波が、おそろしいとわかっていれば自分を守る行動、他人を守る行動ができるということを学べた。被災者の話では、他人と協力して一つでも大切な命が救えることができるということが分かった。地震など、災害が、おきたら、テレビなど避難指示など確かめようと思う。

2019年12月01日