大阪教育大学附属平野中学校 3年 金原 菜つ乃
昨年の秋、自転車に乗って大阪湾まで走った。久しぶりに家族全員が休みの日、出かけようということで行ったことがない所へ行こうという話になった。真っ先に思い浮かんだのは海だった。市内の観光スポットの大半は一度は訪れたし、買う物も特に無いし、山には何度か登っている。だが、なぜか海だけは行ったことが無かった。大阪湾を見に行くのはどうかと提案すると、父が自転車で川沿いを走って行くのはどうかと言い、母は運動不足だからね、と賛同した。
自宅から川沿いに大阪湾まで行くルートなら、片道およそ二十キロメートル程で、往復は四十キロメートル。フルマラソンに近い距離の長さに急に腰が重くなったが、私は自転車に乗るのだから大丈夫、と言い聞かせて家を出た。
川沿いを走っていると同じスピードで水が海の方へ向かっていくように感じて、早く海が見てみたい、と川が太くなるほど強くそう思った。途中、道を少し間違えたり、同じ姿勢で座り続けるのがしんどいと思ったりした。だがそれも、目の前に深い青の線が広がった瞬間、「おおー!」という歓声に変わって体から抜けていった。
真直ぐ、その先は行き止まりのコンクリートの黒い道を進んだ。突き当りで自転車を停め、堤防の上から顔を出した。
そこには、太い川とつながって、端が見えない、海が広がっていた。見たことのない、「河口」を見て、本当にこの、今まで横に見ていた川が、海につながっているのだ、ということを確かめられて、すごく爽やかな気分だった。
ひとしきり海を眺め終わり、段になっているところから降りるため下を見ると、護岸用のテトラポットが大量に置かれていた。その隙間には、大量のごみが落ちていた。どの隙間もごみで埋まっているため、青く大きな海を見たときとは違う「おお……」という声が出てきた。このごみをここから出すのは、もうほぼ無理だろう。複雑な形のテトラポットの上ではほうきは使えないだろうし、手で拾うにしても、危険だ。このサイクリングの三ヶ月前程に学年で行った臨海学舎のときに見た海とごみの量の差にとても驚いた。あのときは皆、早く泳ぎたい、とうずうずしていたが、こちらの大阪湾で泳げとこの海を見せられていたら、どうだったろうか。しかし、あの時泳いだ海とこの海はつながっているのだ。それを意識した途端、すぐ下に広がる景色に目を背けたくなった。
この場所からさらに数キロメートル南の方には海浜公園があり、そこにも自転車に乗って行くことにした。その公園の端には粗い砂浜があり、ビーチバレーをしている人もいた。その砂浜にも至るところにごみが落ちていたが、砂浜になっておらず、低いコンクリートの堤防になっているところの真下を見ると、ごみがまるでじゅうたんのように横に広がって浮いていた。小学生の時、社会の授業で、大阪湾でもカレイやタコなどの魚がとれると習っていたが、こんなにごみが浮いている場所でとれた魚なんて本当に食べたくないと思う。私だけではなく、誰もがそう思うだろう。遠くの方がきれいな海だけ見て帰れば良かった、と後悔したが、足下に広がる現実を海が見せてくれたのだ、と思うことにした。
海に浮くごみがある、ということは知っていた。小学校の国語の教材の一つだったからだ。教科書の写真の中の漁業用の網に絡まり、ぐったりしたアザラシの姿は今でも覚えている。しかし、「アザラシ」がそこまで身近な生き物でないからかもしれないが、あまり自分には関係ないという印象が知らず知らずのうちに頭についてしまったようだ。
二〇一五年の国連総会で決まった、「持続可能な開発目標」(エスディジーズ)の中の一つで「海の豊かさを守ろう」というものがある。日本は、これらの他の目標も含めると他国に比べて達成度が高いそうだ。しかし、「海の豊かさを守ろう」に関しては達成度は低いという。
私は、このままの海の状態は嫌だと思う。今すぐにはできないけれど、ゆっくりでもいいから、いつか誰でも大阪湾で楽しく遊べて、大阪湾でとれた魚を食べて、大阪湾はとてもいい所だ、と口をそろえて言えるような大阪湾になってほしいと思った。