近畿大学附属和歌山中学校3年 ムラリ ジャナニ
海とはどういうものでしょうか。私たちは海の生物を海産物として利用し、国と国を移動するのに船で海を渡り、単に遊び目的としても海を利用したりもしています。島国である日本にとって、魚は欠かせないものであり、どこへ行くにも海を渡る必要があり、海へ遊びに行くのがもはや夏の恒例行事となっています。それほど海は私たちにとって大事なものなのです。ですが、私たちはそれを大切にしているのでしょうか。もちろん自然を愛し、海を大切にする人はいます。でも無意識にも海を傷つけているかもしれません。
海を傷つける、とはどういうことを指すのでしょうか。まずはいうまでもなく海を汚すことです。これは高度経済成長時に四大公害の原因の一つです。海を汚すとその見返りとして、汚染された水を飲み、体に害をもたらすような海産物を食べることになります。海を汚したことなんてない、という人もいるでしょう。ごみ箱に捨てずに道端で捨てられるごみには最終的に海に行き着くものが多いです。海を汚している自覚のない人の中にもこうした間接的な原因になっている人はいると思います。海を利用している人、一人一人が責任をもってきれいに利用する必要があります。
私は以前、何のためらいもなく道端や浜辺、海にごみを捨てる人を見たり、ごみが多くて海に裸足で入るのが危険だとまで感じるような海を見たりしたことがあります。それを見るたびに、どうして自分の周りを大切にしないのだろうと思いました。自然というのはすごいもので、私たちがきれいにせずとも汚し続けさえしなければいつの間にか元に戻っているものです。私は誰もが海を掃除しなければいけないと言っているのではなく、「汚さない」ということだけ意識して欲しいのです。何も考えずにする人と、これはしてはいけないことなのだとわかっててする人では天と地ほどの差があります。だからこそ一人一人が海や私たちの環についての意識をもつ必要があると私は思います。
海を傷つけるのはもう一つあります。それは利用の節度を無視することです。例えば、もう十分捕ったのに市場で儲けることだけ考えて海産物を捕ったりすることです。何事も節度をもって行動しなければいけません。魚を捕り過ぎると、プランクトンの増量による赤潮などが起き、海の生態系が乱れます。これも間接的とはいえ、海水の汚染につながります。もちろん海産物を捕ること自体は悪くはないですが、節度を意識しないと、結局は自分が困ることになります。例えば漁師が自分の利益だけ考えてどんどん魚を捕り、先程もいったように赤潮などが発生してしまうと結局困るのは魚が捕れなくなった漁師であるのと同じです。だからこそ必要最低限に海を利用しなければいけません。
このように、海は私たち人間によって長い間傷つけられてきました。私たちは海がないと生きていけないといっても過言ではありません。特に日本は海に恵まれた国であり毎日のように利用しています。そのように私たちはその海を大切にする義務があると思います。海を汚さない義務、海の中で生きているすべての生き物を大切にし、無駄に捕り過ぎないようにする義務などのことです。私たちはそれらの義務を果たすべきです。海が私たち人間、動物や植物などのすべての生き物にとってどれだけ大切なものなのかをきちんと理解した上で、私たちの海を守るために何をするべきなのかを考えなければいけません。誰かがやってくれるだろうと思って自分は何もしないのではなく、自分の力で出来るかぎりのことをするべきです。他人まかせでは何も変わらない可能性が高いです。少なくとも海に遊びに行ったときに、自分の身の周りのゴミを集めて捨てましょう。一人一人がそれを心がけるだけでも何かが大きく変化するはずです。