銅賞 海を守ること、暮らしを守ること

奈良市立富雄第三中学校 3年 落合 一葵

 淡路島は洲本市に位置する小さな港町、由良。私の祖母の家は、そんな町の中の神社である。由良の人口は約三千人と少なく、町は絵に描いたような田舎だ。それでも昔は、ここが淡路島最大の港だったと言う。その名残で、毎年夏にはその人口から想像できないほどにぎやかな祭りが開催されるのだ。地域の人から「水かけ祭」と呼ばれているお祭りは、その名の通り、おみこしにひたすら水をかけながら町をねり歩き、最終的におみこしごと海に入るというものである。厄年の方たちがおみこしをかつぎ、町内会ごとにだんじりも出し、それ以外の人は水かけ要員に回って、と町が一体となって盛り上がる大きなイベントの役割をはたしている夏祭りだが、元来の目的は、波を司っている神様を水かけや海に入ることで楽しませて、豊漁を願うことにある。要するに、由良にとって海は、町をあげて祭りをするほど大切なものなのだ。
 確かに、日々の暮らしでも、海は大切な生活ツールになっていると感じる。例えば、由良では漁業を仕事としている人がたくさんいる。由良の近くは潮の流れが速く、身の引きしまったおいしい魚がとれるそうだ。他にもうにがよくとれるので、たまに知り合いの方が持ってきてくれる。それも新鮮でめちゃくちゃおいしい。他にも、海は恩恵をもたらしている。由良は潮風が吹く分、夏でも少し涼しいのだ。少なくとも、私が住む奈良県よりは。それに私のような海なし県の住民からすれば、夏気軽に海へ泳ぎに行けること自体がとてもうらやましい。由良の友だちは海があることを「もはや何とも思えらんわい。」と言っていたが、きっと今すぐ由良から海が無くなったら悲しく思うだろう。
 しかし、そんな由良の海には大きな問題がある。それは「漂流物」である。お祭りの前に、浜辺を掃除する機会があった。その時、そこにはたくさんの漂流物が打ち上げられていた。その内の六割ほどは大小さまざまな流木だったが、残りの大半はプラスチックゴミだった。固形のプラスチックからビニール袋まで、とにかく大量の。海にも海そうやクラゲに交じってビニール袋が浮いていて、私はそれを見て悲しくなった。海は由良の要である。そんな要がこうして汚れていってしまうのは、とても残念なことであるし、今すぐにも制止しなければいけないことだ。そしてこの問題は、年に一回ゴミ拾いをすることくらいで易々と解決するものではない。「ゴミをポイ捨てする」という、漂流物問題の原因を排除して初めて、解決にこぎつけられるのである。
 このように、私が祖母の住む地域について体験し、学びを深めて感じたことが二つある。
 一つ目は、海洋問題の根本的解決には、海辺に住みその現状を目にしている人だけでなく、私のように海のない場所に住む人々の協力が必要不可欠だ、ということだ。ゴミ(特にプラスチック類)をポイ捨てしないようにする、元からプラスチックゴミをあまり出さないようにする、など、生活の中で少しでも意識を向けてくれる人がたくさん増えれば、何かが変わると思う。
 二つ目は、海の環境保全をすることは、海洋生物を守ることだけでなく、その近くに住む人間の暮らしや文化を守ることにもなる、ということだ。由良の美味しい魚が、海洋汚染で食べられなくなれば、漁師さんだけでなく、町の住人も生活が悲しく辛いものになるだろう。それに、そんな状況になれば祭りだって無くなるかもしれない。
 私は、由良の町が、海が、大好きである。
どこまでも広がる海に、夕陽が反射して水面がキラキラ光る。大きくて美味しい海産物がたくさんとれる。そんな情景を守りたい。だから、自分だけでなく他の人にもこう語りかけたいと思うのだ。
 「この国の美しい海を、暮らしを、私たちで守りませんか?」と。

 

2023年12月07日