金賞 海と生きる

大津市立 青山中学校 3年 鈴木 詩織

 私の家では、夏になると家族で海へ向かう。日常的に湖を見ていても、夏は海に会いたくなる。
 毎年向かうのは、祖父母の家がある福井県の海だ。夏の穏やかな波と海岸から少し離れた場所にある島を眺めていると、いつか見た景色を思い出す。
 私が小学一年生の三月、東日本大震災が起こった。津波が街を飲み込み、数えきれない程たくさんの命を奪った。全てを消したあの津波が海から生まれたことを、私は信じることができなかった。
 この地震のあと、私は海が怖くなった。幼かった私にとって、海は「人の命を奪う恐ろしいもの」として残ってしまった。
 地震から二年後の夏、私はある合宿に参加した。海に近くにある少年自然の家で泊まり、海と触れ合う合宿だ。抵抗が全く無かった訳ではない。しかし、シュノーケリングや魚釣りといった楽しそうなプログラムに心惹かれた。海はいつも家族で行く場所の近くだ。私は海を知るため、一歩を踏み出した。
 シュノーケリングでは、初めてウエットスーツを着て水に入る練習から始まった。初めは体が重くてすぐ疲れてしまっていたが、徐々に遠くまで行けるようになった。見たことのない魚や海藻が体のすぐそばに感じる。とても新鮮な体験だった。
 次の日は魚釣りをした。餌を付け、糸を垂らし何分も待った。しかし私の釣竿に魚がかかることはなかった。魚が来た、と思うとすぐ竿を動かしてしまい、餌だけ取って逃げられてしまうのだ。その一日でコツをつかむことはできなかったが、魚釣りの魅力を知ることができた。
 魚釣りが終わると、釣った魚を料理し食べることになった。初めて魚のうろこを取ったり、包丁でさばいたりした。うろこはかたくはがしにくかったが、慣れてくるとかかる時間も少なくなった。魚をさばいている時、さっきまで生きていた魚たちを料理していると思うと、申し訳ない気持ちになったと同時に命をいただいているというありがたさを知ることができた。釣った魚の入ったみそ味の磯なべは、海の味がしてとてもおいしかった。海の恵みを感じた瞬間だった。
 合宿中のある日、夜に海の近くを探検しに行った。懐中電灯と月の光だけの暗い砂浜に、静かに波がうちつけていた。すると補助の先生が上を指して言った。
 「上をみてごらん。この辺りは大きな建物がないし空気がきれいだから、これだけ美しい星空を見ることができるんだ。」
 そこに広がっていた星空は、私が今まで一度も見たことのない、そして六年経った今も忘れられない程の絶景だった。限りなく続いているような無数の星、これも一つの海の恵みなのかもしれないと思った。
 合宿最終日、今まで練習してきたシュノーケリングで、島の洞窟を探検することになった。浅いところには見ることのできなかった不思議な模様の魚たちが、透き通った水の中を泳いでいった。陸では感じることのない海の中や海側から見た陸の景色、変化する海水の温度、水と一体となっているような気持ちのよさに、海のその豊かさを知った。
 その次の年、また家族で福井の海を訪れた。合宿が終わってから、海への恐怖心は嘘のように小さくなっていた。海をいつものように眺めながら、気づけばいろいろなことを考えていた。
 東日本大震災で大きな被害をうみ出した津波、これが海からもたらされたものであることは事実だ。しかし、シュノーケリングで感じた海の中で生きる魚や海藻の命、魚釣りで知った海からもたらされる恵み、海の上で光っていた幾千もの星の輝き・・・。これらも海が与えてくれる宝だ。目の前に広がる海は、いつもの湖と違って向こう岸が見えない。どこかの国へと確実につながっている。もしかしたら、海があるから出会えた人、出会えた事がこの世界にはあふれているのかもしれない。そんな事を考えていたら、海は私たちのすぐそばで確実に生きているんだと思えてきた。海が与える影響は計り知れない。知ろうとすればする程、海の良い面も悪い面も見えてくる。それでも私たちは海と関わり合って生きていく。私たちが海へ与える影響を良いものにするため、まずは環境を守るため努力していこうと感じた。

 

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2018年12月01日